兵庫県知事の斎藤元彦さんが今話題となっていますが、斎藤元彦さんの今の活躍のルーツとなっているのが祖父の大澤伸剛さんのようです。
そこで今回は斎藤元彦さんの祖父、大澤伸剛さんについて北朝鮮人の噂や豪邸と言われる自宅について詳しく見ていきたいと思います
斎藤元彦の祖父の大澤伸剛のプロフィールと経歴紹介
斎藤元彦知事の母方の祖父、大澤伸剛さんのプロフィールを紹介します。
プロフィール
- 名前:大澤 伸剛(おおさわ のぶたか)
- 生年月日:1925年1月7日(2018年93歳で死去)
- 出身地:兵庫県神戸市垂水区
- 出身学校:大阪市立都島工業学校電気科(現在の大阪市立大学)
- 家族:妻、子供4人
- 職業:実業家
大澤 伸剛さんは1925年生まれの実業家で、4人の子供がいます。
そのうち長女のフクさんと次女の文子さんが斎藤家に嫁いだという記録が残っていました。
そのため斎藤元彦知事の母親がフクさんと文子さんのどちらなのかまでは調べることができませんでした。
経歴
- 1940年:大阪市立都島工業学校電気科を卒業
- 1947年:大澤ゴム工業所を創立
- 1954年:大澤ゴム工業所の貿易部門として源弘貿易を設立
- 1956年:第5回西日本輸出雑貨振興会において知事賞受賞
- 1958年:4月国際見本市に業界代表として出席、感謝状を受ける
- 1959年:4月黒い羽根運動に協賛
大澤ゴム工業所を株式に改組 - 1960年:グッドデザイン賞を受賞
- 1971年:日本ケミカルシューズ工業組合理事長に就任
- 2002年:ポートアイランドの緑地にゴルフ練習場を建設
- 2018年:老衰で死去
大澤伸剛さんは大学卒業後、わずか7年で大澤ゴム工業所を設立すると、地元の鉄工所と連携しコンベヤー方式を生み出し作業工程の機械化を進めた人物です。
現在では様々な分野で主流となっている、工場のベルトコンベヤーを生み出した人物と言えそうですね。
大澤伸剛さんの創業した大澤ゴム工業所で作っていたケミカルシューズは現在、神戸シューズとしてブランド化しローファーやパンプスなどで安心のブランドとなっています。
人柄
斎藤元彦知事の祖父である大澤伸剛さんは、とても行動的な方だったようです。
炭鉱離職者の増加が社会問題になっていたときには、身体障害者や母子家庭の子どもたちなどを積極的に会社に採用し人材育成にも力を入れていました。
また、オイルショックなどの危機的状況のときには、作業の機械化や合理化を進めるとともに政治家に危機対応の支援を働きかけていたようです。
この時に親交を深めていたのが当時兵庫県知事から参議院議員となった金井元彦さんで、これらの恩もあり孫の斎藤元彦知事に『元彦』という名前をつけたのかもしれませんね。
斎藤元彦の祖父は北朝鮮人って本当!?
斎藤元彦さんの祖父 大澤伸剛さんには北朝鮮人との噂があるようですがそれはデマの可能性が高いです。
大澤伸剛さんに北朝鮮人の噂が生まれたのは大澤さんの会社に北朝鮮人が多く働いていたことからだと思われます。
神戸は港町だったことと仕事がたくさんあったことから多くの朝鮮人が住んでいましたが、戦争で仕事を失った人が多くそういう方をたくさん採用していたことで大澤伸剛さんに朝鮮人の噂が出たようですね。
斎藤元彦の祖父の豪邸と言われる自宅はどこ?
斎藤元彦さんの祖父 大澤伸剛さんは4人の子供がおり大豪邸で親戚とともに生活していたという噂があります。
「実家は約120坪もある大きな家で、おじいさんを中心にいとこの世帯も一緒に住んでいました。
https://www.news-postseven.com/archives/20240828_1986603.html?DETAIL
この120坪の豪邸の場所までははっきりわかりませんでしたが、自宅だと言われている写真がこちらです。
立派な門のある豪邸のようですね。
ここにもしかしたら大澤伸剛さんの長男や次男家族が住んでいたいのかもしれません。
まとめ
今回は斎藤元彦知事の祖父である大澤伸剛さんについて詳しく見ていきました。
大澤伸剛さんはかなりやりての経営者で政治家ともとても親交を深めていた人物のようですね。
そんな大澤伸剛さんに斎藤元彦知事は溺愛されて育ったそうで、私立中学の学費やお出かけのお小遣いもすべて祖父からもらっていたそうです。
そんな祖父との関係から、名前をもらった『金井元彦』さんのような政治家を目指したのかもしれませんね。
斎藤元彦が部落出身という噂についてはこちら
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